私はHSPでは?

趣味ではないけれど、とある気付きについて…。


私は幼少期(幼稚園年長さん頃の記憶からしかないけれど)から、随分と他人と合わせて生活することが苦手だった。
乳幼児期に入退院を繰り返したが故の、人間不信も大いにあったのではないかとも思うが、それにしてもだ。

とにかく幼稚園が辛かった。
みんなでお弁当を食べることや、みんなで鬼ごっこをすること、お遊戯会をすること、全てが苦痛だった。

小学校に上がれば、かなり克服していた。
どちらかと言えばリーダーシップを取る方で、学級委員長や生徒会役員などにもなっていた。
勉強も運動もそれなりに出来る方だったし、手先も器用な方で、音楽もできた。それだけで小学生時代はクラスの中心になれたのだ。
人よりも得意なことが自分にある、と自分を認められたことが克服できた理由だったと思っている。

しかしながら感情豊かで、何に対しても感情移入しやすく、また人の痛みや嫌な雰囲気などにやたら敏感だった。
それは家族の間でも、学校でも。
今思えば子どものわりに、かなり空気を読んでいた方だったと思う。特に負の空気を。
そして周りの期待に応えようと常に思っていた。正義感や責任感が強く、それに押し潰されることも多々あった。

その辺りは大人になった今でも変わっていないと思っていて。恐らく人よりも神経質であったり、落ち込みやすかったり、気を使いすぎてしまったり…
わいわい賑やかな大人数の場は嫌いではないけれど、自分を含めて3人〜5、6人の集まりなどは、正直苦手である。立ち振る舞い方がわからないのである。聞き役になるべきなのか、話し手になって盛り上げるべきなのか…多方面に気を遣ってしまい、気になって仕方がない……そんなことをぐるぐる考えてしまい、解散する頃にはどっと疲れていることもしばしば…
(仲の良い間柄であれば、そうではない場合もある)


この他にも、私はやたらと大きな音に敏感で、非常に驚いてしまうことが多い。(自分ではびっくり病と呼んでいる。)
そして運転が得意ではない。
周りの風景が次々に変わる事が苦手で、そこに気を取られてしまい、気づけば車間距離が短くなっている事がよくある。それ以上に夜の運転が苦手で、等間隔に並んでいる街灯が非常に不愉快で、錯覚を起こすのだ。自分がどこを走っているのかわからなくなる。
さらには鼻も効く方で、人に伝わったことはないが、雨の匂いや冬の匂いを感じる。雨の匂いは降ってくる前感じるのだ。冬の匂いはもうなんと伝えたらいいのか全くわからないが…。その他にも微かな雑菌の匂いや動物の匂い、体臭などにも気付きやすい方だと思っている。




感情の面や外的要因によって、生活しづらい&生きづらいと何度も思った事がある。
もっと楽観視できたらいいのに、もっと楽天的になりたい…なぜ自分はこんなにも神経質/気遣い屋/ネガティヴ/敏感なのだろうか……
思春期頃から今までずっとずっと、損な性格だ。と思い続けてきた。

それが最近いよいよしんどくなり、今一度解決法がないか調べたところ、HSPという気質があると知った。
ハイリーセンシティブパーソンの略だそうで、「人一倍繊細で、人の気持ちや外界の刺激に敏感な人」のことを指すそうだ。
これは性格や病気とは異なり、あくまでも「気質」なのだそう。背が高い/低いというの同じことらしい。
要するに変えようがないのだ。
5人に1人がこのHSPだと言っている専門家もいる。





HSPには4つの特性があり…

(1)物事を深く考えて行動する
→1を聞いて10を想像し考える等

(2)過剰に刺激を受けやすい
→人の些細な言葉に傷つき、いつまでも忘れられない等

(3)共感力が高い
→映画や本の登場人物に感情移入し、号泣したりする等

(4)些細なことに気付きやすい
→強い光などが苦手等

ということらしい。
(調べるともっと詳しく色々出てくる。)


…私はHSPなのでは???
そう思うと全てがしっくりくる。
私の生きづらさは、気質だったのだ。
と言ったものの、人と話したり出かけたりするのは好きで、むしろ積極的にしたい。新しい場所に行くのも、旅行に行くのも好き。新しいことを始めるのも好きで、初対面の人と話すのも苦にならない。

はて…?

より調べると、そういうタイプの人はHSS型HSPというらしい。やはりそういう人もいるのかと、非常に納得した。
恐らく私はこれに該当する。
内向的なHSPとは違い、外交的なHSS型ではあるが、傷つきやすさや敏感さは持っているということらしい。
(HSSの略詳細などは不親切ながら省く)
わかりやすく言うと、防具を持たずに突撃するタイプのようだ。挑戦的だが、防具がない故に傷つきやすい。


どちらにしても生きづらいこと変わりはないのだけれど、自分の特性を知っているのと知らないのとでは、気持ちの持ちようが違ってくる。
専門家の方がいてくれるおかげで、生きづらい中でも生きやすくなる方法考え方を展開してくれている。
私自身、昨夜知ったばかりの気質ではあるが、これからより理解を深めていきたい。

「帰ろう」 藤井風

久しぶりの投稿となるこれもまた、藤井風くんのお話。

現在リリースされている楽曲は、全て聞いているのだけれど、たくさん聞いた中で私のナンバーワンはこの「帰ろう」になり。

初めて聞いた時は歌詞に、声に、涙が止まらなくなったのを今も忘れない。

あくまで私が感じていることだけれども、藤井風くんは非常に心が広いというか、世界平和を願うような人である。
それが親御さんの教育のものなのか、はたまた宗教的なものなのかは明白になってはいない。

この「帰ろう」を聞いた時に、自分はなんて狭い視野で毎日を見ているんだろう。もっとおおらかに、人と自分に優しくできる世界があるはずなんだと思わされた。

私は人にも自分にもある程度厳しさを持っているつもりで。そうしたくてしているわけではなく、気がついたらそうなっていることが多々ある。
自分のすべきことに対して、完璧を求めがち/高レベルに持っていこうとしがちである。それが自分の足枷になろうとも。
そして他者に対しても同じレベルを求めがちである。できていない者に対しては憤りを感じる。



これは血液型の話でよくある例なのだけれど、「コップに水をいっぱい入れておいて」と頼んだときに、コップの半分までしか入っていなかった場合、私は間違いなく「これならやっていないのと同じ」と感じる。
しかしどうやら、「入れてくれただけで十分」と感じる人も世の中にはいるようで。
私は冗談抜きに、非常に驚いた。そんな考え方のできる人も存在するだなんて、思ってもみなかったのだ。
なんならほとんど水が入っていなくても、何とも思わない人すらいるらしい。
私の中の常識ではあり得ないのである。
なぜそれを良しとできるのか、これは正直未だに全く理解ができていない。恐らく一生理解できる日は来ない。
私がそう思うように、私の考えを理解できない人がいるのも間違いがなくて。
本当に世の中は人それぞれ、十人十色ということだ。



話を戻すと、藤井風くんの歌う「帰ろう」には、そんな私が頭を殴られるような感覚のフレーズが満載なのである。

「全て忘れて帰ろう」
「憎み合いの果てに何が生まれるの 私が先に忘れよう」
「私のいない世界を上から眺めてみても 何一つ変わらず回るから 少し背中が軽くなった」
「ください くださいばっかで何もあげられなかったね」
「与えられるものこそ 与えられたもの」
「今日からどう生きていこう」

恥ずかしながら、挙げたフレーズどれ一つを取っても、私の中にはなかなか生まれない感情ばかりで。
嫌なこと/不安なこと/憤りを感じること…負の感情を忘れることはないし、先に許すことも私には難しい。
様々なものを捨てて、自分を自由にする勇気もなく、自分がやらなくてはという責任感が常に付き纏っていて。
相手にも同じものを求め続けて、私が与えているのはきっと私の価値観でしかない。

そんな私でも人の痛みには気付き、寄り添おうという心はあって…それはやはり自分が苦しんでいるときに、寄り添ってもらった経験が強くあるから、私もできるのだと思う。
逆を言えば、他者から完璧を求められていることも実際にあって。もしくは求められていると感じていることが多々あった。それを私も他者に求めているのである。


それらを受けて「今日からどう生きていこう」?
明日も今日と変わらない。生活も自分も周りも。そう思って今まで生きてきたのは間違いない。
しかし生活も周りも、もしかすると自分次第で変わり得るのかもしれないと思わされる。
私の言動一つで変わるものも、きっとある。


藤井風くんのように全てを思える日は、恐らく私には来ないとは思う。
けれど、少しだけ変われる部分はきっとある。
明日は自分に周りに優しくなろう、そう思うのである。

「罪の香り」 藤井風

「岡山弁で歌う人」という程度の認識で、「藤井風」というシンプルで覚えやすい名前の人という程度の認識で。

「方言を歌詞に入れ込んでいる」というところが、やたらとフューチャーされていたけれど、いやいや。もう何年も前に我らがポルノグラフィティ様が「アポロ広島弁ver.」やってたし。
と、胸の奥底にあった古きポルノ愛が見え隠れしたりもしたんだけれど。



きっかけは「関ジャム」で、愛すべき川谷絵音が藤井風の「罪の香り」をイチオシしていたことだった。
川谷絵音の音楽性が非常にツボな私としては、彼が大絶賛するのだから間違いないのだろう。という気持ちで、Amazon musicで早速「罪の香り」を聞いた。



導入は迫り来るリズムと音に、あぁこれは良い…と思った矢先。
突如、昭和ムード歌謡のような雰囲気に切り替わって、かなり驚いた。
それと同時に、村下孝蔵が好きだったりと、昭和音楽の独特な雰囲気が好きな私は一気に引き込まれて、聞き流せなくなった。
しかし藤井風の歌声は気怠く今風のもので、そのギャップがたまらない。
サビが近づけば近づくほど、危険なワクワクとドキドキが入り混じった気持ちにさせられるメロディラインで。

いざサビ。
予期せぬ歌詞に度肝を抜かれた。
「おっと、罪の香り」
おっと?!?この雰囲気できておいて、
おっと!?!というなんとも形容し難い気持ちになったのも束の間。
私が1番強く言いたいのは次のフレーズである。

「おっと、罪の香り 抜き足差し足忍び足」
罪の香りがそっとそっと、決して気付かれないように近づいてくる。
その表現だけでも十分、クラっときたのだけれど、問題は歌唱力と表現力で。

「抜き足差し足忍び足」
これまでに聞かせてくれなかった、なんとも優しく穏やかで、色気のある痺れる歌声になる。
これにはもう本当に、鳥肌が立った。それどころかハートに鳥肌が立ったという方が的確だと思う。
ここだけ延々とリピートできるほどだった。
これ以上は話すよりも、聞いてもらえた方が早いだろう。






私はどちらかと言えば音楽好きな方だと思っているけれど、過去に同じように心が震えた音楽アーティストは、先述したポルノグラフィティ。そして川谷絵音だ。
それ以来の衝撃だった。

ポルノグラフィティに関してはデビュー当時からのファンで、少なくとも「君は100%」という楽曲あたりまでは、死ぬほど聞いていた。CDも全て集めていた。
今でも過去の曲を聞いては、心震わすことがある。

川谷絵音に関してはTV出演し出す前に、YouTubeで「ゲスの極み乙女。」「indigo la End」を聞いていた。
なんだかワイドショーで取り上げられて、そこから人気が出始めたのも、ファンとしては「らしくていいのでは?」とすら思ったのは、熱り覚めた今だから言える話。


そして、藤井風。
見ればまだ20代前半。
とんでもない人が出てきたなあ、というのは誰もがきっと思っていることで。
音楽にさほどルックスは重要でないのでは?と思いつつも、彼はそこもぬかりなく。
長身細身で、またもや昭和スターのような男前なのである。しかし笑うと八重歯の可愛い青年で。
話せばおっとり時間が流れ、その上ピアノが素晴らしく、英語までできるとなれば、もう何が欠点なのやら。



彼の歌声の魅力は数あれど、個人的には音末の処理技術が様々あって、注意して聞くと、非常に巧みで面白い。
ナチュラルであれなのか、意識の賜物なのかはわからないけれど、どの曲もよく聞いてみて欲しい。
そこまで音楽用語等々に詳しくないのだけれど、スタッカートのように歯切れ良く終える音末が、私はなんだか妙にツボで。
それだけをオススメするには「優しさ」という曲をぜひ聞いてもらいたい。





長々と話をしたけれど、こんなに心を動かされたのは本当に久しぶりで、しばらく抜け出せそうにない。
本当ならばワンフレーズ毎にオススメポイントを紹介したい。
そうなると、えげつない文字数になること間違いない上に誰得問題なので、今回はやめておく。
まぁ、このコンテンツ自体が誰得問題で、自己満足で構成されてるからいいのか。な。



おわり。