「帰ろう」 藤井風

久しぶりの投稿となるこれもまた、藤井風くんのお話。

現在リリースされている楽曲は、全て聞いているのだけれど、たくさん聞いた中で私のナンバーワンはこの「帰ろう」になり。

初めて聞いた時は歌詞に、声に、涙が止まらなくなったのを今も忘れない。

あくまで私が感じていることだけれども、藤井風くんは非常に心が広いというか、世界平和を願うような人である。
それが親御さんの教育のものなのか、はたまた宗教的なものなのかは明白になってはいない。

この「帰ろう」を聞いた時に、自分はなんて狭い視野で毎日を見ているんだろう。もっとおおらかに、人と自分に優しくできる世界があるはずなんだと思わされた。

私は人にも自分にもある程度厳しさを持っているつもりで。そうしたくてしているわけではなく、気がついたらそうなっていることが多々ある。
自分のすべきことに対して、完璧を求めがち/高レベルに持っていこうとしがちである。それが自分の足枷になろうとも。
そして他者に対しても同じレベルを求めがちである。できていない者に対しては憤りを感じる。



これは血液型の話でよくある例なのだけれど、「コップに水をいっぱい入れておいて」と頼んだときに、コップの半分までしか入っていなかった場合、私は間違いなく「これならやっていないのと同じ」と感じる。
しかしどうやら、「入れてくれただけで十分」と感じる人も世の中にはいるようで。
私は冗談抜きに、非常に驚いた。そんな考え方のできる人も存在するだなんて、思ってもみなかったのだ。
なんならほとんど水が入っていなくても、何とも思わない人すらいるらしい。
私の中の常識ではあり得ないのである。
なぜそれを良しとできるのか、これは正直未だに全く理解ができていない。恐らく一生理解できる日は来ない。
私がそう思うように、私の考えを理解できない人がいるのも間違いがなくて。
本当に世の中は人それぞれ、十人十色ということだ。



話を戻すと、藤井風くんの歌う「帰ろう」には、そんな私が頭を殴られるような感覚のフレーズが満載なのである。

「全て忘れて帰ろう」
「憎み合いの果てに何が生まれるの 私が先に忘れよう」
「私のいない世界を上から眺めてみても 何一つ変わらず回るから 少し背中が軽くなった」
「ください くださいばっかで何もあげられなかったね」
「与えられるものこそ 与えられたもの」
「今日からどう生きていこう」

恥ずかしながら、挙げたフレーズどれ一つを取っても、私の中にはなかなか生まれない感情ばかりで。
嫌なこと/不安なこと/憤りを感じること…負の感情を忘れることはないし、先に許すことも私には難しい。
様々なものを捨てて、自分を自由にする勇気もなく、自分がやらなくてはという責任感が常に付き纏っていて。
相手にも同じものを求め続けて、私が与えているのはきっと私の価値観でしかない。

そんな私でも人の痛みには気付き、寄り添おうという心はあって…それはやはり自分が苦しんでいるときに、寄り添ってもらった経験が強くあるから、私もできるのだと思う。
逆を言えば、他者から完璧を求められていることも実際にあって。もしくは求められていると感じていることが多々あった。それを私も他者に求めているのである。


それらを受けて「今日からどう生きていこう」?
明日も今日と変わらない。生活も自分も周りも。そう思って今まで生きてきたのは間違いない。
しかし生活も周りも、もしかすると自分次第で変わり得るのかもしれないと思わされる。
私の言動一つで変わるものも、きっとある。


藤井風くんのように全てを思える日は、恐らく私には来ないとは思う。
けれど、少しだけ変われる部分はきっとある。
明日は自分に周りに優しくなろう、そう思うのである。